河合亞美と藤間絢也の、日々の日記です。
by ami-aya
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「忌引き」

今、東京に帰ってまいりました。


実は、先週の金曜日に義父(夫の父)が危篤状態になり、
そのまま他界しました。



そういうわけで、下関には行くことができませんでした。


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金曜の朝、多智雛さんに電話。

行けなくなったことを伝えなくてはならない。


彼女はこれから本舞台を踏む
「お祝いをされる立ち場」のお目出度い状況の人。
しかも、本舞台を前に、いろんな緊張をしているはず。

そんな彼女に、このことを伝えるのはとても辛かった・・・


まして。
もうずっと前から約束してて。
お互いに楽しみにしてたことが沢山あって。

そして、私が逆の立場だったら。

自分の舞台を見に来てくれる、と約束してくれた人の
ドタキャンは、とっても傷つく。
誰でも、これは、絶対に傷つく。


傷つけると、100%わかっていて、私は・・・・。


けれど。

伝えなくては。


電話に出た多智雛さんの声は明るく、
「おお~~どした~♪おはよ~~♪」

言わなくては。

絢也:「ひなちゃん。ごめん。」

ひな:「えー?どしたん?」

絢也:「あたし、下関に行けなくなった。」


彼女の次の言葉は、「えーなんで!?」ではなく、
まだ私は何も話してないのに
既に彼女は何かを察してくれていた。


ひな:「どうした?!何かあったの?!」


事情を話す。


彼女は毅然とこう言った。


ひな:「絢也ちゃん。そういうことは、とっても大事なことだ。
    しっかり、務めておいで!」


私は胸を打たれた。


絢也:「・・・ありがとう・・・・でも・・・・
    こんな直前になってこんなこと伝えてごめんね。
    本番前の大事な時期に、ごめんね。
    約束破ってごめん。
    あたしが逆の立場だったら絶対にショックだもん。
    そんな思いをひなちゃんにさせてごめん」


涙が後から後からあふれる。
本来なら本番前で緊張した日々を送っている彼女を
励まさなくてはいけないはずの私なのに、
そんな心の余裕はなく、
ただ、ただ、オイオイと泣いてしまった。


ひな:「泣くなよ~!大丈夫だよ!
    絢也ちゃんの気持ちが痛いほどわかるから。
    逆の立場だったら、って考えてくれる絢也ちゃんの気持ちを
    あたしが逆の立場ですっごい理解してるから。
    あたしさ、絢也ちゃんの手ぬぐいを、帯にはさんで踊ろうと思う。
    そうすれば、一緒だよ。」


私の涙は益々止まらない。


ひな:「あたしたちの付き合いは、これからも長いよ。
    長い間にはいろんなことがあるさ。
    あたしと絢也ちゃんとの付き合いはずーっと続くんだもん。」


涙涙。


そして、彼女のすごいところは
その後、「そうそう!そういえばね!聞いてよ!」と
明るい話題を提供してくれたことだ。
思わず笑い転げてしまい、共感もし、
笑顔の声で電話を終わることが出来た。


だけど。


やっぱり電話を切ってから、しばらく泣いた。


下関までの道中をともにしましょう♪と約束していた
松本幸龍先生にメールをし、事情をお話した。
幸龍先生からも、励ましのお言葉をいただいた。


そして、師匠にもお話した。
心配のお言葉や、励ましのお言葉をいただいた。


バイト先にも忌引き連絡。


そして私は東京を後にした。

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義父は88歳の米寿を迎えた一ヵ月後に他界しました。
1年半の闘病生活の末の、旅立ちでした。

私は、あくまで「東京に住む次男の嫁」という立場で
年に何度かしか会わない、
縁薄い存在ではありましたが、
それなりに、「思い出」はあります。

義父は、軽井沢駅長を務めた経歴を持ち
「天皇陛下の前」を歩いた時の話を嬉しそうにしてくれたものです。
※天皇陛下の「前」を歩ける人は
 この世でごくごく限られた人。
 「軽井沢駅長」とは、その「限られた人」の一人なのです。

真っ白な夏の制服に身を包んで
緊張の面持ちで昭和天皇の前を歩く義父の写真は
ハンサムで本当に素敵でした。



お酒が好きで、
会えば必ず「月桂冠の燗酒」を酌み交わしながら
一緒にお寿司をつまみました。


闘病生活の中、義父と義母を支えた
義兄、夫は本当に立派でしたし、
義父も義母と二人の息子に感謝して旅立っていったことと思います。


「人の死」、そして、
最期を送り、お骨をあげる、という「仕事」は
本当に辛く悲しいことでした。

納棺、通夜、告別式という出来事の中、
生きている間、縁の薄かった私には
私が出来る精一杯のお手伝いをして、
悲しみいっぱいの「家族」を支えることと、
「沢山の涙で送る」ことしかできませんでした。


多くの人に慕われ、愛されていた義父。
間違いなく「天国」という場所に行くことでしょう。

冥福を心から祈ります。

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日曜日のお稽古場では
仲良しのお弟子さんたちが
「今頃絢也さん下関だよね~~」
などと話していたそうです。


その時に、
「達也先生は、みんなに話を合わせておられたよ」
ということを後に聞きました。

師匠。
多智雛さんと私にご配慮くださったこと
心から感謝しております。



それから、多智雛さん。

気を遣わせて本当にごめんな。
あなたのHPをさっき見たよ。
舞台のこと、ほとんど書いてないね。
ごめんね。

私に配慮してくれてありがとう。
こうして、もう、事実を皆様にお知らせしたから、
ひなちゃんも、書いて大丈夫だよ。
ごめん。


幸龍先生も・・・。
当日は、私に、写メールを下さったり・・・
そのほか、いろいろと、
ご配慮くださって、ありがとうございました。
そして、本当にすみません。

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正直いろんな意味で、
疲労困憊してしまいました。
結構精神的に弱虫でございます。情けないことです。


すぐに立ち直ると思いますので
皆様。今しばらくお待ち下さいまし。
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by ami-aya | 2007-05-15 21:46
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